宝石を慈しむ
「ジュエリーデザイナー」というと、ランチにディナーに夜毎のパーティ・・とどういうわけか豪奢な生活をイメージされる方が多いようですが、さて、皆様はどういうイメージをお持ちでしょうか?
少し前になりますが、ある詩人が、会場にいる人たちから言葉を一語づつもらって、それで即興の詩を作るという会に出かけたことがあります。その時、私はドキドキしながら「宝石」という言葉をお願いしたのですが、その方は「見栄」とか「虚飾」という意味合いで「宝石」という言葉を使われて、とても残念な思いをしたことがあります。 また、時々ではありますが、初めてお話しするのに、頭からジュエリーを否定される方もいらっしゃって、そんな時は、本当に悲しくなります。「ダイヤモンドに目がくらみ・・」って、時代でもないですものね。
以前にも書いたことがありますが、高村光太郎のレモン哀歌や、宮澤賢治の小説など、明治期の作家の詩や本にでてくる宝石は、今よりずっとキラキラと貴重で、澄んだ輝きを放つものだったように思います。当時の人々にとって宝石は、小さな自然そのものだったのでしょうね。
そう、宝石を使って出来上がったジュエリーは、本当に華やかで美しいもの。目にしただけで気持ちが高揚し、ごく自然にいつまでも大切にしたい! と思えるものですね。 毎日の生活必需品でもなく、ないからといって困りもしない。 けれども、小さな子供が花をみつけたら、折らずにはいられなくなるように、宝石にも、美しく人を引き寄せる 自然な力があるように思います。
美しいものを慈しむ。
自然に、気負うことなくジュエリーを身につけていらっしゃる方にお目にかかると、そういう心の持ちようを垣間見た気がして、ハッとします。パワーストーンといった、見た目の美しさだけでない石の力に目を向ける人が増えてきたのも、ちょっと虚飾だけじゃぁないのよ・・という人が増えてきているからという気もします。
というわけで??でもないですが・・実際のジュエリーデザイナーの日常といいますと。 残念ながら、とっても普通。 「華やか!」と想像していただけるのはとっても光栄ではありますし、素敵な方に出会う機会は多いような気もしますが、 実際は、見栄にも、虚飾にもまみれず、毎日、真面目にコツコツとデザインを考えたり・・、作ったり・・、事務仕事に追われたり・・・しています!・・・泣