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CATEGORY : KYOTO

送り火

August 13, 2011

 震災から5カ月が過ぎました。早いのか遅いのか、ただ、あの日以来、時が止まったように感じて暮らしている方が、大勢いらっしゃるのだろうなと思います。
 あの時、被災した知人が送ってくれたメールには、襲ってきた津波から命からがら鉄筋コンクリートの小学校に逃げた様子、窓から外にいる人に危険を知らせる人々の叫び声、「2階ではだめだ!3階へ逃げないと!」と、言われた時の不安、濁流にのまれる家とそれをなすすべもなく見守る人々、泣き声さえもあげない子供たちの様子、それらが、克明に書かれていました。 それを読んで、ただ、つらかった。 今、少しづつ、ほんの少しづつ、いろいろなことが良くなってきていると聞きます。 けれどもそれは、単純に想像しても、以前と同じにもどったというわけではない。 悲しく辛い気がします。
 京都の大文字の送り火で、陸前高田の薪を焚くのを、放射能の恐れがあるためにやめるという記事を読みました。 大文字の送り火は、京都の夏の終わりを告げ、亡くなった人の魂を見送る、京都に住む私たちにとって、とても大切な行事です。 お盆ということで、家族や親せきが集まり、お互いを思いやり、先祖のことを想う。華やかなお祭りやお楽しみ事とは違った、心に触れる行事の一つだと思ってきました。 
 いろいろな意見や事情を考えての判断だったとは思います。 けれども、そういった行事だけに、被災地の人々の悲しい気持ちにに、私たちも一緒に寄り添うことができたはず。 京都が選んだことは、被災地の人々にどんな思いを届けたことでしょう。 出来ること出来ない事、いろんなことがあるかもしれないけれど、こんな時こそ、ちょっと強い気持ちが大切ではないかと思っています。  
 

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